シュートで終わること
松本山雅の試合を
応援している中で
思うことの1つに
「シュートで終わる」
がある
攻撃を仕掛ける時
FKやCKと違って
時間が流れる中で
得点が入りそうな
時がある
その時に
シュートを打って
終わりたいという
見てる側の欲望だ
いいパスワーク
いい攻め込み方
いいカウンター
全ては相手から
得点を奪う為の
プロセスである
打ったシュートが
外れることも
よくあることだし
外れること自体も
フィニッシュ精度という
また別の問題があるけど
シュート自体が無いと
見てる方は
「おいおい大丈夫か」
と不満から来る不安?が
どんどんと膨らんでくる
最終的には
もうプロセスいいから
結果生む為の
シュートが見たいんだと
気持ちがたどり着く
さらには
この時間が長く続くと
やる気はあるのか?と
見えてしまう時もある
こうやって書いてると
シュートは
「1つの答え」と思えてくる
その答えを
出すか出さないかが
シュートを打つ打たないの
分岐点になってる気がする
「1つの答え」と置き換えると
サッカー選手でない自分も
シュートを打つか打たないかで
迷うときがあるなと感じる
間違っててもいいから
意見を言うこと
間違っててもいいから
課題を提出すること
今の段階で
50点でも30点でもいいから
自分の中で
100点にしようとしないで
まずは出すこと
出すところから
次に進む手立てが
見つかることもある
という風な具合に
頭でわかっていても
体が動いていない時
心当たりありありである
シュートは
得点が入るように
慎重に打たなければならない
ここまでつないでくれた
みんなの期待や頑張りを
裏切らないように
慎重に打たなければならない
そう思えば思うほど
心理的に打てなくなる
でも打ってみたら…
ゴールしちゃうこともある
チャンスになることもある
自分は果たして
シュートを打ちに行く
姿勢や気持ちを
持ち合わせているのか
ミスを恐れず
気持ちで負けるな
とはサッカー選手の
為だけにあるコトバ
ではないなと感じる
試合のない平日の1日