好きな人たちと好きな試合を
松本山雅の試合が
遠いアウェイで行われる場合
試合中継が出来るお店でよく
パブリックビューイングをする
※以下PVと称します
PVって聞くとまたは書くと
日本代表の試合を
お店の中の大画面で放映し
サポーターという
共通項で集まった
不特定多数の人たちが
試合結果に一喜一憂し
得点が入れば誰彼構わず
ハイタッチを交わす空間
その先には
渋谷のスクランブル交差点で
DJポリスが夜な夜な活躍する…
という感じだろうか
オーバーに書き過ぎか
私のやるPVは明確に違う
特定少数の
心許した仲の良い好きな人と
美味しいご飯を食べながら
みんなが好きなチームの
大一番を一緒に応援するという
極めて緩く快楽的な空間である
この空間の良い所は
たくさんあるが1つあげると
普通のPVと違って
精神的な衛生が事前に
約束されていることが大きい
勝っても負けても
その場の雰囲気で不快にならない
ということだ
試合の結果によって
精神的に凹むというのは
普通のことだと思っている
ただしそこに
心無い野次や的外れな罵声が
加わると傷口に塩
ただでさえ悲惨な試合結果に
輪をかけるように
ネガティブが襲いかかる
この点を回避することが
出来るのだから
試合を楽しむことに集中できる
PVをやると
毎回思うことがある
誰と一緒に見るのかは
極めて大事という点だ
先制点を取られた
同点にされた逆転された
応援してるチームにとっての
逆境がはじまった時に
「大丈夫だ」と思える力の
強度はそこが大きく左右する
そこの精神力が太ければ
1人でも大丈夫なのかもしれないが
そうでない場合は
周りの人から肩を借りるように
「大丈夫だよ」の思いを借りる
私はその1人だ
1人の「大丈夫だよ」は
浸透するように周りに伝わる
周りとは自分が
心許した仲の良い好きな人たち
だから伝わる速度は速く結束も強い
こう書くと変だが
多少のピンチがあると
PV的にはちょうどいい
みんなの結束が強まる瞬間が
見て取れるのと
ピンチから一転して
試合をひっくり返すことが
最高に気持ちいいからだ
それはひっくり返したこと
ではなくて
みんなで結束して
ひっくり返したんだ
ということに価値を
置き換えてるからかもしれない
でもそれでいい
そう思える人たちと
空間があることに
PVの価値があると思っている
実はこのPV
いつもの仲良しメンツで
観戦した試合は
全てまだ負けなしである
それがまた次に
開催する楽しみになっている